授業日誌
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本棚
小学生の読書教室のために準備している本は見た目より多いもので60冊教室の定員が1日7、8名なのですが、最近は本が被ることが度々。人気銘柄は「ちびクロサンボ」と「キャプテンはつらいぜ」の2冊最近では「名探偵サムくん」も被ることも…う~ん…冊数と人数のバランス考えたらそんな被るものか??疑問が残りますが、本日ちょっとだけその理由がわかった気がします。平積みされてるものから取ってくんでしょうね。はい。これ、完全に本棚を整頓する人の責任です…教育現場にあるまじき整理整頓能力の無さ。このブログを書きながらも「年末に整理しよう」とか、すでに後回しの発想してるからダメなんでしょうね。でも考えてみたら上段の本は選ばれにくいかも。魔女の宅急便とか窓際のトットちゃんとか有名だからもっと読まれてもいいはずなんだけどな。コンビニ陳列じゃないけど、配置って大切ですね。西東京市田無の個人塾稲塾
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確認テストを考える
単語テストは毎回しっかり準備してから受けるのに、単元ごとの確認テストになると急に”サラッと受けちゃう”子、多くないですか?なんか“いつものルーティン”みたいに流し気味で受けてて、あぁこれは意識づけがまだ弱いんだろうな…と反省してます。で、なんでこうなるのか考えてみたんです。まず一つ目。単語テストは覚えるものが超明確。でも確認テストは「何を覚えればいいのか」がぼんやりしてる。間違えた問題への意識も弱めで、「ちょっと見たから大丈夫」「一回やったから大丈夫」みたいな空気を感じるんですよね。でもそれって本来、単語テストでも同じはずなんです。単語だって“ちょっと見た”だけじゃ全然大丈夫じゃないし、“一回やった”だけじゃ覚わらない。つまり、確認テストはそもそもどう勉強すればいいのか“やり方”が分かってない子も多いんじゃないかな、と。もう一つはテストを受ける目的の違い。単語テストには「単語を覚える」という分かりやすいゴールがあります。でも確認テストは…?って聞かれると、意外とみんな答えられないんですよね。学校でも“単元が終わったらテスト”って流れになってますが、これがクセ者で、「単元が終わる=ページが埋まったら終わり」みたいな感覚が強くなっちゃう。本当はそうじゃなくて、「できるようになったら終わり」なんですよね。確認テストはまさにそれを確かめるためのものなのに、その目的が子どもたちに十分伝わってなかったんだな…と痛感しています。だからこそ、作業としてテストを受けるんじゃなくて、“頭を使う活動”として取り組んでほしい。確認テストをもっと丁寧に受けて、自分の成長に繋げていけるようにしていきたいですね。西東京市田無の個人塾稲塾
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3.14
やっぱり算数を勉強していると、「計算力って大事だなあ…」とつくづく感じます。最近は、教科書に“電卓マーク”が付いている単元もあり、昔に比べるとだいぶ優しくなりました。ただ、勉強が苦手な子ほど、「どこが難しいのか」が曖昧なまま進んでしまうことが多いです。すると、正解できない何度やっても間違えるもう算数イヤ!という負のループにハマってしまいます。でも実は、「式は合っているのに計算でつまずくだけ」という場面が本当に多いんです。考え方は完全にOKなのに、計算がぐちゃっとしてしまう…。これは本当にもったいない!特に苦手としている子が多いのが「円」の単元。円周率3.14が急に重いんですよね。扇形になると割り算も入って、まさに追い打ち。「考え方は合ってるのに…電卓使わせてくれ!せめて円周率3にさせて!」という心の叫びをあげてしまいます3.14も3も結局は近似値なのに、なぜ3.14なのかと疑問に思うのも当然。一方、比例の単元に入ると計算が軽くなり、みんな息を吹き返します。難しいのはむしろ考え方のほうなのに、計算が楽になるだけで元気になる6年生、かわいいですよね(笑)私はよく「考え方がわかっていれば大丈夫。計算は機械の仕事になるから」と言いますが、これが小学生にはなかなか伝わらないもの。ぜひ保護者の方にも、「考え方が理解できているか」「計算で苦しんでいるだけなのか」を見分ける目を持っていただければと思います。算数という一つの教科でも、考え方の力(概念理解)と計算の力(処理能力)はまったく別物です。式が正しく立っているなら、もう8割は正解に近い。そこでつまずいてしまうのは本当にもったいないんです。🎯一つの課題には、一つの目的をこれは私が大切にしている考え方です。「困難は分割せよ」という有名な修道士の言葉がありますが、算数もまさにそれ。考え方でつまずいているのか、計算でつまずいているのかを分けてあげるだけで、子どもたちの算数の世界はずっと優しくなります。西東京市田無の個人塾稲塾
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シン読解力
はじめに新井紀子さんの『シン読解力』を読んで、「学習言語」と「生活言語」の違いについて深く考えさせられました。この二つの言葉の使い分けを意識することが、学びの質を大きく変えるのではないか——そう感じています。学校で行われている多くの活動は、学習言語を生活言語に置き換えることなく形式的に進められているように思います。その結果、「理解したつもり」で終わってしまう学びが少なくありません。自分自身の経験をもとに、学習言語と生活言語の関係、そして「自分の言葉に置き換える」学習の大切さを考えてみたいと思います。「語句調べ」が“作業”で終わっていないか小学生の頃、教科書に出てくる新出語句を辞書で調べてノートに書く「語句調べ」の宿題がありました。今でも多くの学校で続いていますが、あの作業は「辞書を引く練習」以上の意味を持っていたでしょうか。当時の私は、辞書の説明をそのまま写して提出することが目的になっていました。中学生のワークでも、新出語句の意味を書く問題がありますが、多くの生徒は同じように“丸写し”で終わってしまいます。なぜ意味が覚えられないのか——それは、辞書に書かれた学習言語を、自分の生活言語に翻訳せずに写しているからだと思うのです。というか丸写しすることが要求されていたので、書き換えたらダメだと思ってました。ノートの「丸写し」と「まとめ直し」授業ノートも同じです。黒板を写すことが「きちんと授業を受けている証拠」だと考えられていると、ノートづくりは形式的になります。一方で、授業後にノートを「まとめ直す」ことは、自分の言葉で学びを整理し直す作業です。もし「まとめ直し」を自分の生活言語に置き換えて再構成する行為と捉えれば、それ自体が深い学びになります。これはまさに「シン読解力」で語られている、“自分の中で意味を再構築する力”に通じると思います。暗記シートづくりにも「読解力」が生きる私の塾では、テスト前に「カンニングペーパー(暗記シート)」を作らせることがあります。このとき、ただ解答を丸写ししてしまう生徒は効果が薄いですが、自分の言葉に書き換えながら作る生徒ほど理解が深まります。自分の言葉にできない部分こそ、実はまだ理解できていない部分だと気づけるのです。こうした“自分の言葉で表現する”訓練は、まさに「シン読解力」の実践そのものだと思います。「自分の言葉にする」ことで、学びは深くなるこうした学び方は確かに時間がかかります。けれども、ひとつひとつ丁寧に自分の言葉で整理しながら理解していく方が、結果的には知識が定着します。今後は、生徒たちにも「学習言語を生活言語に置き換える」意識を持たせながら、語句調べやノートづくり、宿題など、日常の学習活動を丁寧に見直していきたいと思います。おわりに『シン読解力』を読んで改めて感じたのは、“わかる”とは“自分の言葉で言い換えられること”だということです。形式的な学びを越えて、「意味を自分の中で再構築する学び」をこれからも実践していきたいと思います。西東京市田無の個人塾稲塾
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定期テストと自己調整
2学期が始まり、「夏休み課題テスト」から続けて「定期試験」がやってきます。「一緒にやればいいのに…」「学校ってテストが好きだなあ」とため息をつきたくなりますが、ため息をついても状況は変わりません。以前は「とにかく全部に全力を!」と思っていましたが、今では「選択と集中」が大切だと考えています。与えられたものを何も考えずに1から10まで全部やろうとしても、結局は中途半端になりがちです。特に勉強が苦手な人ほど、やりきれずに落ち込む結果になってしまうことも多いのではないでしょうか。だからこそ、取り組む前に一度立ち止まって考えてみましょう。目の前の課題を「できそうなもの」と「ちょっと難しいもの」、さらに「やる価値があるもの」と「流していいもの」に分けて整理してみる。特に中学3年生は内申点がかかっていますから、「少し頑張れば上がりそうなもの」「油断すると下がりそうなもの」に力を注ぎ、そうでない部分はあえて力を抜くのも戦略です。頭を使ってメリハリをつけること。「ここまでは頑張る!」と自分で線を引き、同時に「やらないことを決める」ことも大切です。教育現場ではあまり推奨されないかもしれませんが、この発想を身につけると勉強だけでなく人生そのものがずっと楽になります。こうして状況をコントロールする力が育ってくると、自分で納得できることが増え、自己肯定感も上がります。そして「やればできる」と実感できれば、幸福感も高まっていきます。楽しく有意義な学校生活を送るためには、この「自己調整」の力こそが鍵になるのではないでしょうか。西東京市田無の個人塾稲塾稲葉陽介