授業日誌
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ESAT-J
期末テストが終わった週末は模擬試験。そして、その翌週には多くの批判を集めている英会話テスト「ESAT-J」がやってきます。申込制と言いながら強制的に受けさせられるこの試験、最初から疑問を感じる人も多いですよね。東京都独自の施策らしいですが、正直どういう意図で行われているのかピンときません。教育改革と言いつつ結局は子どもたちの能力を点数化して優劣をつけるやり方。こういうところに、日本の教育の本質が見え隠れしている気がします。英会話ができることは大事かもしれませんが、今の時代、スマホや翻訳アプリを使えばその場で通訳も可能です。正直、少し英会話ができる程度では「役に立つ場面ってどれだけあるの?」って思っちゃいます。もちろん、例えばサッカー選手なら試合中にスマホを取り出すわけにはいかないので役立つかもしれませんけどね。海外に行ったサッカー選手の成功の鍵はサッカーの実力以上にコミュニケーション能力だそうですから。そのベースは語学力でしょうね。なんだかんだ文句を言っても仕方ないので、塾でESAT-Jの対策を実施。ちょっと面白かったのは、普段見られない塾生さんたちの姿が垣間見えたこと。とはいえ、生徒からすれば慣れない英会話をなまじ知ってる人たちに聞かれるのは、結構恥ずかしかったでしょうね…。全身から放つ「当たらないでくれ!」オーラが全開だったのが面白かったです。それでも当てられたら果敢に挑む姿は素敵でしたよ。名言は「おじいさん」は"husband"で訳す!ナイスです👌でも、この「恥ずかしい」とか「自信がない」という感覚を乗り越えないと、自分で外国語を話してコミュニケーションを取るのは難しいですよね。だからこそ、コミュニケーション能力を鍛えること自体は大事だと思うし、学校は集団で学習できるので学ぶのに最適な場面だと思います。ただ、それを点数化して評価するのは、なんというか「いかにも日本的」だし、偏差値教育の流れから抜け出せていない証拠に感じます。これがすぐに変わるとは思えないので、少しがっかりです。今の中学生が大人になる頃には、ICTを超えてAIを使いこなす時代になっているでしょう。だからこそ、機械に取って代わられない能力をどう育てるかが重要じゃないでしょうか。教育も、ただスキルを詰め込むだけでなく、創造力や思考力を伸ばす方向に変わっていくべきだと思います。西東京市田無の個人塾稲塾
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今日誰のために生きる?
読書記録です「今日誰のために生きる?」というアフリカで絵画を学んだ画家さんと幸福追求家(?)の方がたまたま温泉で出会ったことから生まれた、人生を見つめ直す一冊です。…なんだか日本人に対する評価が高すぎるような日本人を代表するかのような言い方をするとルロイ先生に怒られますが、なんか期待に応えられてなてくすみません。日本では「自己犠牲」が大きな美徳になってるので、自分の幸福を第一に追求すると後ろめたい気持ちになってしまうのかもしれませんね。きっと西欧が入ってきた明治前後で大きな違いがあるんだろうな〜…もちろん生活が成り立つレベルでの話ですが、裕福だから幸福、貧困だから不幸だとは限らない。よく江戸時代は貧しくても幸せだったなんて言いますからね。自分の幸福って一番当たり前のように思いますが、それを追求しにくいのは社会(学校、会社)の圧力が強いからなんだろうな。大学って圧が弱いから楽しめたのかも。学校の勉強も「やらされるもの」ではなくて自分の成長のために取り組むものだって捉えられれば違ってくるんんだろうけど、公立の小中学校にいる限りは難しいのかなあ。私はフリースクール、オルタナティブスクール推しなのですが、何せ学費が高い…公立教育を一律改革しなくてもいいから教育に選択肢を与えてほしい。本編とは少しずれますがアフリカの絵画「ティンガティンガ」が魅力的で、機会があれば見に行きたいなあ〜なんて思いました。展示会とかあったら見にいくぞ〜!西東京市田無の個人塾稲塾
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公教育の未来は??
驚きのニュースです。「高知県で小学校教諭内定者280名中、207名が内定辞退」これは「207名が赴任ではなく、辞退した」という衝撃的な数字です。私が学生の頃、学校の先生は非常に人気の職業で、特に中学や高校の教員採用試験では10倍を超える倍率が当たり前でした。それが、今はこのような状況に変わってしまいました。なぜでしょうか?その理由が少し分かる気もします。教師の長時間労働やクレーム対応、そして現場の過酷さが、理想のイメージとはかけ離れてしまっているのでしょう。私自身、学生時代には集団行動が苦手で、学校に対してあまり良い思い出がありません。もちろん、今も大きく印象は変わっていませんが、保護者として改めて学校を見ると、やはり驚くほど変わっていないと感じます。社会の変化についていけていない現状が、子どもたちにとっても先生たちにとっても多くの問題を引き起こしているのではないでしょうか。もちろん、先生たちの働きやすさが学校の第一条件ではないのかもしれませんが、教師という職業に憧れを持って教壇に立った方々が、夢を打ち砕かれるような状況に胸が痛みます。教育現場が、子どもたちにとっても、働く先生たちにとっても「学びがい」や「働きがい」のある場に変わってほしいと願っています。西東京市田無の個人塾稲塾
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生成AIと教育についてchatGPTを使って記事を作ってみました
Facebookでたまたま目にしたチャットGPTに関するオンラインセミナー。怪しいと思いながらも、試しに参加してみたのがきっかけで、AI技術の可能性に驚かされました。セミナー自体はほとんど広告でしたが…💦何人サクラさんがいたんだ??使い方自体はあまり教えてもらえなかったものの、今後の社会においてAIがどれほど重要な役割を果たすかを理解するには十分でした。使えないと社会に置き去りにされることもよく分かりました早速Amazonさんにお世話になります。教材作成の時間が半分になりました!多分期末テストが終わる頃にはもっと早くなります!今回の期末テスト対策では学生さんより私とアルバイトの吉田さんの方がパワーアップします✌️数年にわたって、発達障害について学んでいます。専門的な用語や知識を駆使して状況を分析することはできるようになったものの、実際にどのような対策を講じるかという段階で、行き詰まることも少なくありませんでした。しかし、AI技術がその問題解決に新たな光を当ててくれるかもしれないという期待感が芽生えました。これをうまく活用することで、より良いサポートができるはずだと確信しています。さて、AI技術が急速に進化し、仕事や教育のあり方が大きく変わりつつあります。たとえば、私自身、ワードやエクセル、パワポをあまり深く学ばずに使ってきましたが、今後の社会ではそれすらも不要になるかもしれないと感じています。では、現在の小中学生が社会に出る頃には、どんなスキルが必要とされるのでしょうか?そして、それに合わせて教育はどのように変化していくべきなのでしょうか?Society4.0とSociety5.0の違いこれまでの教育は、主に「知識の詰め込み」と「偏差値による競争」に重きを置いていました。いわゆるSociety4.0の時代では、工業化社会や情報化社会に対応するためのスキルや知識が求められ、専門知識を持った人材が高く評価されてきました。しかし、私たちは今、Society5.0という新しい時代へと移行しています。この新たな社会では、AIやIoT、ビッグデータといった技術が日常生活やビジネスのあらゆる面に組み込まれ、人々の暮らし方そのものが大きく変わるとされています。必要なスキルとは?そして教育の在り方は?では、この新しい社会で子どもたちが必要とされるスキルは何でしょうか?プログラミング自体は、今後それほど重要ではなくなるかもしれませんが、「プログラミング的思考力」や「論理的に問題を解決する力」は引き続き必要です。そして、AIが進化することで、機械に任せることができる部分が増える一方で、「人間らしさ」がますます重要になると考えられます。具体的には、以下のポイントが今後の教育で重視されるべきです。言語力と表現力情報を正確に理解し、自分の考えを的確に伝える力、すなわち「言葉を操る力」が不可欠です。特にAIが情報を提供する時代においても、人間がその情報をどう受け取り、どう活用するかを判断する力が重要です。そもそも「言葉を操る力」「言語化能力」がないと生成AIをうまく活用できません。読解力と基礎学力複雑な情報を読み解き、それをもとに意思決定を行う能力は、あらゆる分野で求められます。AIはツールであり、それを使いこなすためには基礎的な学力と知識が必要です。個々の学び方の多様性社会が変わるにつれて、すべての子どもが同じように学ぶ必要はなくなります。それぞれが自分に合った学び方や環境を見つけ、成長していくことが求められます。「学歴」や「偏差値」だけが重要視される時代は終わりを迎え、代わりに、実際にどんな知識やスキルを身につけ、それをどう活かせるかが問われるようになるでしょう。現在の日本の教育システムは、依然として偏差値や入試の結果に大きく依存しています。しかし、今の小中学生が社会に出る頃、世の中は大きく変わっています。入試に合わせた科目学習や一律のカリキュラムだけでは、未来の社会に適応できないかもしれません。保護者の皆さんには、この現実を見据え、子どもたちが社会に出たときに「自立した人間」として活躍できるような教育を考えるきっかけにしていただければと思います。結局のところ、教育の目的は「学歴を得ること」ではなく、「人間的な自立」を目指すことです。子どもたちが自分の力で考え、判断し、行動できるようになるための力を育てることこそ、私たちが目指すべき教育の姿ではないでしょうか。技術は進化し続けますが、人間としての「本質」は変わりません。それを忘れずに、子どもたちの未来を見据えた教育を共に考えていきましょう。西東京市田無の学習塾稲塾
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ICT
お盆で帰省した際に親戚の叔母さんに言われたのですが、どうやら私は厄年だそうです。そういうの全然気にしたことないんですけどね。でも今年は一味違います。①塾のタブレット(ファーウェイ)が寿命を迎えました。開講以来ありがとうございました。お金のない弱小の個人塾ですがipadを6台揃えました。5年以上は保つでしょう!😀②マックブックエアーが寿命を迎えました。長い間ありがとうございました。新しいマックブックにしましたが、キーボードは以前の物の方が好みでした。③電動自転車が寿命を迎えました。下の子を保育園に送りに行った5年間の思い出は残ります。④(個人の)スマホも寿命を迎えました⑤(家の)ブルーレイレコーダーも寿命を迎えました。⑥(家の)テレビも寿命を迎えました。…ていう、なんだかすごい厄年の猛威が襲いかかりました。リファービッシュ、メルカリ、ジェネリックが買い替えの合言葉です。次は個人使用のipadかな??むしろ高価なものはもうipadくらいしかない。それにしても開講以来、ICTに力を入れようと頑張ってるけど相変わらず中学生のICT利用がままならず。「若いから機械に強い」とかこれは嘘ですね。よく触ってるけどゲームしてるか動画見てるかSNS見てるかだけなので有効活用はできないと思います。果たしてこれでsociety5.0を生き抜くことが出来るのか??私も生成AIの勉強をしていかなければ…西東京市田無の個人塾稲塾